平尾台の森

草原の平尾台は有名ですが、平尾台の森もとても魅力的です。
太古の昔はこの平尾台は森に包まれていたそうです。

平尾台 晩秋の山神社の森によせて

藁ぶき屋根であったり、農耕用の牛馬の糞と混ぜてたい肥を作るためであったり、害虫駆除であったり、放牧地が必要になったりなどで、野焼きが始まりいわゆる萱場が形成されました。
その結果現在の平尾台の草原が作られたのです。

最新の考古学の研究成果によれば、平尾台の洞窟の中の石筍を輪切りにして調べることで、台上の植物の様子を知ることができるそうです。太陽や乾燥に強い草原性の植物と一般的な森の植物では光合成の仕組みが異なっていて、それぞれC4光合成、C3光合成と呼ばれています。その光合成の違いから、炭素中の放射性炭素の割合が違ってきて、輪切りにされた石筍の中の炭素の成分分析で台上が森であったのか草原であったのかを知ることができるそうです。

石筍は木の年輪と同じように台上の植物がつくるフルボ酸という物質の割合が異なります。夏は植物が成長してフルボ酸がたくさん生成され、冬は植物は枯れてそれが少なくなり、濃度の年輪を作ります。薄く輪切りにした石筍に紫外線を当てるとフルボ酸が発光して縞模様が出るそうです。その特定の縞のなかにある炭素の分析をすれば、その時代の台上の植物が想像できるというわけです。
平尾台の調査では7世紀近くに一度草原になり、その後森に遷移し、江戸時代初期に再び草原化したという分析ができました。
比較的古い資料がたくさんある秋吉台で同じ調査をしたところ、古い記録と分析の結果が照合してこの手法の信頼性が証明されています。秋吉台でも江戸初期に野焼きが始まっています。
分析した研究者は、7世紀の草原化は奈良の大仏鋳造のための銅の精錬の結果ではないかと想像していました。

写真の森は、野焼きが始まったのちも、森の南にある川帰り水という水源地を守るために、あえて野焼きを行わなかったようです。南大東島のジャングルの下の洞窟とサトウキビ畑の下の洞窟の水の動向を調べたら、ジャングルの水の涵養力が分かったそうです。草原の下の洞窟では雨の後ではすぐに水量が変わるそうです。その一方ジャングルの下の洞窟では水量が雨の影響を受けないそうです。ジャングルの木が水を涵養し安定して洞窟に供給しているんですね。

このように平尾台の歴史から知ることのできることは、人為的な力がはたらかなければ平尾台は森に遷移してしまうということです。20くらい前に野焼きで消防士の方が犠牲になって、しばらく野焼きが中止になました。その結果台上の森林遷移がすこしすすみました。わたしが持っている昔の平尾台の写真と比べてもずいぶんと木や竹林が増えています。広谷湿原などは、私が半世紀近く前に訪れた時には、ほとんどが草の丈は膝まで位の草原で、野焼きを行わない現在は、背丈ほどの草が生い茂り、森林遷移が進んでいます。
自然を守るということは、現在の状態を維持することなので、広谷の野焼きは湿原の保持のためにも必要だと多くの人が考えていますが、なかなか実現しません。

県や関係自治体は自然保護と言って人が立ち入ることだけを禁止して、かつてのように野焼きや放牧や水田耕作がない今、広谷湿原が乾燥してなくなっていくのは自然と思います。

もともと森だったところは森に、草原だったところは草原に帰るというのが自然の遷移の法則です。
広谷湿原の保護とは、半自然、ビオトープとしての湿原を日常的に手入れすることだと私は思っています。
早くしないと木やヤマドリゼンマイなどが繁殖し乾燥化して次第に湿原が乾燥して森になってしまうのは時間の問題です。

とは言っても、草原や湿原だけではなく、平尾台の森もぜひ末永く愛してほしいですね。
上空から見ると森の中にもドリーネがたくさんあることが開かります。
七ツ森や塔が峰や大穴の森も、とても魅力的です。
平尾台の森にもぜいってみてください。

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